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桜餅に恋をして        『ホゥ...』


by maru_kyo
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日本史の問題2.28

今日は鎌倉時代というか、平安~鎌倉時代への変遷期、
平家物語の時代から問題です。

<源平屹立の時代>
問題.
平清盛が政権を握ると、平家一族は鴨川左岸の四条から七条あたりに広がる
六波羅の地にこぞって屋敷を構え、政権の拠点としました。
六波羅は、洛中から目と鼻の先でありながら、
広大な空き地が広がっていたからなのですが、
なぜ、平安貴族や庶民はこの地に住まなかったのですか?








解答.
葬送(風葬、鳥葬)の地だったから。

付近は鳥辺野とよばれ、洛中で庶民が死ぬと、身内の者はその
死体をこの地の六道の辻(現在の珍皇寺がある辺り)まで運び、
最期の別れを告げたと言います。

元々、地名からして髑髏が原(ドクロガハラ)と呼ばれていたのが、
なまって六波羅(ロクハラ)と呼ばれるようになったとも言われています。

これまで数百年にわたる平安の時代を謳歌した平安貴族たちは、
『死』を忌み嫌い、『歌』や『仏への祈り』などで世を治めようとしました。

その中で、新たに台頭してきた職業軍人(殺生を生業とする者たち)たる
武家の筆頭として、清盛はこのような『死の穢土』たる地域を
自らの拠点とすることによって、貴族たちの既成観念『怨霊信仰』にとらわれない
武家政治のスタイル『実力主義』をアピールしたのではないでしょうか?

ちなみに、この後、鎌倉幕府も朝廷・西国監視として六波羅に探題を置いたのは周知のことですね。

今日は、問題と言うよりクイズになってしまいました。
by maru_kyo | 2005-03-01 00:29 | 日本史の問題