桜餅に恋をして        『ホゥ...』


by maru_kyo
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震災の日のこと。

地震だ

uko_downunderさんへのコメント返信のつもりで書いていたんですが、
マル的にも色々思い入れの深い記事なので、
一つの記事として投稿します。

************************
阪神大震災のとき、マルは大阪の実家にいました。

当時、大学4回生だったマルは、そのころは学校もほぼ終わっていて、
午前中から普通にバイトに行くので7時半ごろ起きるつもりでした。

それが、朝6時前のあの時、突然のゆれに飛び起き、
反射的に自分の部屋を飛び出してリビングで大きな横揺れの中、
なすすべもなくたっていました。
地域的には、震度5程度のエリアでしたが、
マンションの7階に住んでいたので、
体感的にはより強く感じました。
揺れが収まる頃には、ウチの食器の全てが粉々になっていました。

しばらくウチの片付けを行い、ようやく落ち着きを取り戻し始めた頃、
テレビの中継で、震源地が淡路島で、
神戸市付近に大きな被害が出ていることがわかりました。
長田・住吉の町は燃え上がり、
阪神高速道路の橋脚は倒壊していました。

マルの母親は、神戸の出身で、
当時、90歳を超えていたマルの祖父をはじめ、
多くの親戚が、神戸市内や淡路島に住んでいました。
マルの祖父の家は、その阪神高速の目の前でした。
いくら架けても電話の連絡も着かず、
不安に思っていた時でした。

マルは、祖父のことが気がかりで、
単身バイクで神戸に乗り込むことに決めました。
母親にそのことを告げ、現地で祖父や親戚、
近所の方がブジだったときに渡すための
おにぎりや水などを用意してもらい、午前10時ごろ出発しました。

ちょうど、マルの実家の近くから、
大阪市内を迂回して神戸方面へ入れる
171号線と言う国道が走っているので、
そのまま普段どおり西へ向かう事にしました。

しかし、そのときには既に道は車で埋まっている状態でした。
地元の土地カンとバイクの小回りを活かして進みながらも、
ようやく大阪と兵庫の府県境にたどり着いたのは
いつもの3倍、約2時間後のことでした。

でも、本当のひどい有様はソコからでした。

兵庫県に入ったとたん、国道とはいえ信号は停電し、
あたり一面にはガスの匂いが充満していました。
とりあえず、ある程度進んだので実家へ連絡をしようと
公衆電話に並ぶと、そこには災害派遣で出動したものの、
大渋滞、というよりも完全な交通マヒで動けなくなった
自衛隊員たちが列を作り、連絡を取ろうとしていました。

その先では、国道が阪急電車を跨ぐ橋が落ちていて、
数百メートルにわたって迂回したこともありました。

国道171号線が、西宮市に入り
国道2号線にぶつかる地点まで来ると、
車はもはや動く様子はありませんでした。
そこまでの道以上に、ココから先は国道上とはいえ、
沿道の民家などからの瓦礫や炎上する車などが点在、
また、阪神間特有の山麓小川を渡る鉄橋はことごとくズレていて、
大きな自動車が進める状態ではありませんでした。

ここでもマルは裏道をひたすら貫き、
大火災のすぐ近くを通り抜けながら、西へ神戸へ向かいました。

神戸市内に入った時刻は覚えていません。
気がつくと、子供の頃からよく遊んでいる祖父の家から
近い公園の横まで来ていました。
あまりの付近の変貌ぶりに、
自分の位置がわからなくなっていました。

そこから数分で、祖父の家に着きました。
着いたとたん、家の軒先で非難して暖を取っている祖父母、
そして同居している叔父叔母の姿が見えました。
マルはヘルメットをかぶったまま駆け寄ったのを覚えています。

祖父の家は、ほぼ全壊したものの、
奇跡的にマルの親戚は全員生存していました。

持ってきた食料や水を配りながら、
そうしてマルの心に若干の余裕が出来たとき、
ふとあたりを見渡すと、近くの学生マンションが傾いていて、
住民たちが避難していました。
ちょうど、祖父の家の前に電話ボックスがあったので、
その住民である学生たちは大きな不安の中、
その公衆電話になんとか自分の生命線を見つけようとしていました。

当時同年代だったマルは、いても立ってもいられず、
近くにあったおにぎりを持って行き、
その学生たちに手渡し食べてもらいました。
人数は多く、また数には限りがあったので、
ある人はほんの一口限りだったりしましたが、
早朝からほとんど何も食べていない彼らは、喜んでくれました。
彼らは、その日まで同じマンションに住んでいながら、
全く言葉を交わすことがなかった人同士だったのですが、
この日、力を助け合って生きのびたのだそうです。

そうして打ち解けると、彼らからマルに質問が寄せられました。
『ドコから来たの?』
『ドコまで行けば普通の暮らしなの?』
『どのルートが安全なの?』
彼ら曰く、ラジオを共同で聴いていても、
『+++区の死者は○○人に増えました』なんて情報ばかりで
全く役に立たないと言っていました。

なのでマルは、大阪府内まで行けばほぼ通常の生活状態であること、
国道は瓦礫が散乱したり渋滞して移動しにくいが、
かたや裏道はいつ火事に巻き込まれるかわからない状態なので、
できるだけ大きな道を通った方がいい。と伝えました。

そうすると、その学生たちは『ありがとう、行ってみる』と、
その足で大阪に向かって歩き出しました。
彼らがその後、どうなったのか、マルは知りません。
でも、マルの親戚と同じく、
きっとブジに生き延びてくれていると信じています。

今、彼らが元気ならば、
きっとどこかで一生懸命に『生きている』ことでしょう。
最近、マスコミなどで『ガンバっている同世代』を見ると、
やけにそのことを思い出します。
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by maru_kyo | 2004-05-22 02:31 | マルの...