『本田宗一郎と井深大展』
2005年 02月 01日
今日のお出かけ
と言うわけで、先日のお出かけレポです。
梅田スカイビルで開催されていた『本田宗一郎と井深大展』に行って来ました。
当日は、ちょうど千秋楽と言うことでかなりの混雑でした。
それでは、
レポです。
入場してスグに出てくるのは、「カーチス号」です。
本田宗一郎が丁稚奉公先で製作に携わったレーシングカーです。
フレームはミッチェル、エンジンはカーチス製でともにアメリカ製の技術と言うことになります。しかし、このカーチス号が見事にレースに優勝したことで、本田宗一郎がレースにのめりこんで行くきっかけになったそうです。
コチラは、本田宗一郎独立後の開発品。「ホンダA型」です。
戦後に発売されたモノで、自転車に空冷2サイクル50ccエンジンを積み込んでます。
そのころの井深大の開発品、「電気炊飯器」です。
これは写真パネルのみの展示ですが、どう見てもお櫃の中に電熱器を仕込んだものにしか見えませんが。なんとか売れるものを開発しなければならないと言うことで作られたようですが、当時のインフラでは電力供給の状態が悪く、実用には至らなかったようです。
上の炊飯器から5年後、東通工が開発した日本発のテープレコーダです。
お役所用に開発したそうですが、45kgと言う重量と価格が災いしたようです。
ホンダの戦後を代表するバイク、ドリーム号シリーズです。
イチバン手前のE型はホンダ初の4ストOHVエンジンを搭載したタイプです。
開発時は、箱根峠を攻めてエンジンテストをしたと言うのは有名な話ですよね。
昭和30年代に入って東通工がSONYとして発売した歴代のトランジスタ小型ラジオです。
「ポケッタブル」が謳い文句でしたが、実はイチバン手前のタイプはポケットに入らなかったため、特製のワイシャツを作ったとのコトです。
このころから、SONY社製品には「世界初」「輸出」と言ったフレーズが付くんですね。
ホンダの1960年代を代表するレースマシンRC145です。(アングル悪いですね。)
空冷4スト2気筒DOHC125CCエンジン搭載で、'62年の世界選手権は10戦全勝優勝。
ちなみに、そのときのライダーは、あの高橋国光なんですよね。
...と、まぁ、こんな感じであとは皆さんも良く知っている両者の開発品が数々展示されていました。
サブタイトルが『夢と創造 「もの」づくり・町工場から世界へ』と言うことで、
ぞれぞれの造物の歴史を縦軸に、二人の交流を横軸に展開していく展示方法でしたが、ドコカ通り一遍の展示で、もうチョット掘り下げて欲しかった気がします。
特に今の展示方法だと、「あの世界のHONDAやSONYも、当時はこんな試行錯誤をしていたんだなぁ~」「でも、リーダーシップがあったから勝ち残ったんだなぁ~」と言う感想が大半を占めてしまうような気がします。
個人的には、マルはやはり2輪育ちなので、もうチョット2輪レーサーマシンもたくさん見たかったなぁ。と思いました。
大阪での展示はこの日限りで終わりましたが、
これまで、東京や福岡などでロードショウされてきた企画ですから、次はまたドコカの街でみなさんの目に掛かることがあるでしょう。
と言うわけで、先日のお出かけレポです。
梅田スカイビルで開催されていた『本田宗一郎と井深大展』に行って来ました。
当日は、ちょうど千秋楽と言うことでかなりの混雑でした。
それでは、
レポです。
入場してスグに出てくるのは、「カーチス号」です。
本田宗一郎が丁稚奉公先で製作に携わったレーシングカーです。
フレームはミッチェル、エンジンはカーチス製でともにアメリカ製の技術と言うことになります。しかし、このカーチス号が見事にレースに優勝したことで、本田宗一郎がレースにのめりこんで行くきっかけになったそうです。
コチラは、本田宗一郎独立後の開発品。「ホンダA型」です。
戦後に発売されたモノで、自転車に空冷2サイクル50ccエンジンを積み込んでます。
そのころの井深大の開発品、「電気炊飯器」です。
これは写真パネルのみの展示ですが、どう見てもお櫃の中に電熱器を仕込んだものにしか見えませんが。なんとか売れるものを開発しなければならないと言うことで作られたようですが、当時のインフラでは電力供給の状態が悪く、実用には至らなかったようです。
上の炊飯器から5年後、東通工が開発した日本発のテープレコーダです。
お役所用に開発したそうですが、45kgと言う重量と価格が災いしたようです。
ホンダの戦後を代表するバイク、ドリーム号シリーズです。
イチバン手前のE型はホンダ初の4ストOHVエンジンを搭載したタイプです。
開発時は、箱根峠を攻めてエンジンテストをしたと言うのは有名な話ですよね。
昭和30年代に入って東通工がSONYとして発売した歴代のトランジスタ小型ラジオです。
「ポケッタブル」が謳い文句でしたが、実はイチバン手前のタイプはポケットに入らなかったため、特製のワイシャツを作ったとのコトです。
このころから、SONY社製品には「世界初」「輸出」と言ったフレーズが付くんですね。
ホンダの1960年代を代表するレースマシンRC145です。(アングル悪いですね。)
空冷4スト2気筒DOHC125CCエンジン搭載で、'62年の世界選手権は10戦全勝優勝。
ちなみに、そのときのライダーは、あの高橋国光なんですよね。
...と、まぁ、こんな感じであとは皆さんも良く知っている両者の開発品が数々展示されていました。
サブタイトルが『夢と創造 「もの」づくり・町工場から世界へ』と言うことで、
ぞれぞれの造物の歴史を縦軸に、二人の交流を横軸に展開していく展示方法でしたが、ドコカ通り一遍の展示で、もうチョット掘り下げて欲しかった気がします。
特に今の展示方法だと、「あの世界のHONDAやSONYも、当時はこんな試行錯誤をしていたんだなぁ~」「でも、リーダーシップがあったから勝ち残ったんだなぁ~」と言う感想が大半を占めてしまうような気がします。
個人的には、マルはやはり2輪育ちなので、もうチョット2輪レーサーマシンもたくさん見たかったなぁ。と思いました。
大阪での展示はこの日限りで終わりましたが、
これまで、東京や福岡などでロードショウされてきた企画ですから、次はまたドコカの街でみなさんの目に掛かることがあるでしょう。
by maru_kyo
| 2005-02-01 13:27
| 旅行もの