発し方と受け止め方
2004年 05月 14日
京都の人は、時々『まあ、ガンバってみよし~』と言う。
例によって色々言語的背景の深い京言葉なので、
コレを堂々と訳すのもむずかしいのだが、
その場の雰囲気によっては
『ガンバってね!(惜しみなく援助するよ!)』
と解釈できることもあれば、
『やるだけやってみれば?(どうせムリでしょ)』
と解釈できることもある。
もちろん、どちらの場合でも、発する側のそのときの表情はニコヤカである。
さぁ、困った。
これを激励と受け止めるか、挑発と受け止めるか、
それによっては、こちらも出方を改めなければならない。
そうこう悩むこと数年。
やっと最近わかってきたこと。
それは、『この言葉には、常に激励と挑発の両面の意味を持っていて、
相手が成功したときは前者として、そして失敗したときは後者として
そのとき初めて意味が確定する』ということだった。
それは、あたかも物理原子の構造において、
電子は確率論でしか空間位置を持たず、
こちらが『観測』することによって、初めて位置を確定するかのような。
しかも、発する側は、そこまで熟慮してこの言葉を使うのではなく、
やはり持って生まれた空気感で、無意識にその間合いを体得している。
そして、この場合もっとも適切な回答は
『おおきに』であることにも気づいた。
これはこれで、『応援ありがとう』から
『けっ!今に見てろ!』までの意味を同時に持っているのだ。
そして、これも必ずニコヤカに発せられなければならない。
考えて考えて、結局すごく当たり前なことに戻ってきたが、
この『確率論の上でしか、京言葉は理解できない』ということを、
マルは『京言葉 原子構造論』と名づけて、現在、応用分野において検証中。
例によって色々言語的背景の深い京言葉なので、
コレを堂々と訳すのもむずかしいのだが、
その場の雰囲気によっては
『ガンバってね!(惜しみなく援助するよ!)』
と解釈できることもあれば、
『やるだけやってみれば?(どうせムリでしょ)』
と解釈できることもある。
もちろん、どちらの場合でも、発する側のそのときの表情はニコヤカである。
さぁ、困った。
これを激励と受け止めるか、挑発と受け止めるか、
それによっては、こちらも出方を改めなければならない。
そうこう悩むこと数年。
やっと最近わかってきたこと。
それは、『この言葉には、常に激励と挑発の両面の意味を持っていて、
相手が成功したときは前者として、そして失敗したときは後者として
そのとき初めて意味が確定する』ということだった。
それは、あたかも物理原子の構造において、
電子は確率論でしか空間位置を持たず、
こちらが『観測』することによって、初めて位置を確定するかのような。
しかも、発する側は、そこまで熟慮してこの言葉を使うのではなく、
やはり持って生まれた空気感で、無意識にその間合いを体得している。
そして、この場合もっとも適切な回答は
『おおきに』であることにも気づいた。
これはこれで、『応援ありがとう』から
『けっ!今に見てろ!』までの意味を同時に持っているのだ。
そして、これも必ずニコヤカに発せられなければならない。
考えて考えて、結局すごく当たり前なことに戻ってきたが、
この『確率論の上でしか、京言葉は理解できない』ということを、
マルは『京言葉 原子構造論』と名づけて、現在、応用分野において検証中。
by maru_kyo
| 2004-05-14 00:44
| 京都もの